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一口小説:社会で差し出された神輿棒は安易に担がない方がよい
2022年5月31日― 日本では、政治のことを「祭り事」と呼ぶことがあります。この「祭」という漢字は「祀、奉、政」の漢字で代用しても、その「祭り事」としての基本的な意味合いは変わりません。
そして、「誰かを立てて、これを神仏のように崇める」という意味のあるこの「祭り事」には、2つの実体があるようです。1つ目は国の「政治行事」であり、2つ目は地域の至る所に存在する伝統的な祭典行事という類の「祭り事」です。
今回はこの2つの実体に共通する「担ぐ、支持する」という興味深い点を取り上げて、これに関わる人の立場とその帰結について、祭典行事の「祭り事」を取り上げて述べてみようと思います。
「神輿」を担いだ祭りの若衆やこれに同調した見物客が、その威勢のよい掛け声と共に町を練り歩く形式の祭りは、日本の夏秋の1つの風物詩でもありますが、傍らでこれを見ていますと、こうした神輿の担ぎ手の中には、主催者側の人たちが自ら名乗りを挙げてこの神輿棒を「担ぐ」のかと思えば、それを「担がされている」人もいるようです。
さらには、この祭りの「雰囲気」に感化されて、この伝統行事の意味さえ知らずに単に「飛び入りで担ぐ」人もいることが分かります。
そのような神輿棒への「加担」は、単なる祭典行事としての「祭り事」には問題がないかもしれませんが、経済社会の営みの中で出くわすかもしれないこうした「差し出された神輿棒」には、少なくともその祭り事の「雰囲気のみに」に感化されただけの動機による「担ぎ手」にはならない方がいいようです。
安易にその雰囲気に感化された状態でそうした祭り事に便乗してしまうと、もしかすると、テレビドラマの中で良くある名場面の泣き所の一つを、身を持って体験することになるかもしれないからです。
先日放送された、時代劇「水戸黄門」の中でも、「お代官」の目論みに陥っていたことを知ったその「お殿さま」が、自らの無知と安易妄信によって、腹心の友であった「お代官」から無駄な働きをさせられた上、事実上そのよこしまな祭り事を基盤から支持していたことに気づいて、「一杯担がせたな」と言って泣きを見る羽目になっていたからです。
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